2024 12,04 01:57 |
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2010 04,02 03:16 |
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「幸せは暴力」
この言葉の意味がわからない人は幸せな人です。 包丁で左手の人差し指を切りました。 一番気に入っていたグラスを割ってしまいました。 外出しようとしたら雨が降り始めました。 麦 茶を沸かそうとしたら茶葉がありませんでした。 仕方なく玄米茶を淹れたら古かったようで腹が痛くなりました。 久しぶりに「ダメ」が重なった日でした。幸先悪ッ! むろん幸せな人間を見て傷つく者が勝手に不幸になっているだけなのですが。 未来ある新入生と彼らを迎え入れ(そしてサークルにひっぱっていこうとする(笑))在校生を見ると陰鬱な気持ちになりました。 あぁこいつらは幸せなんだなと。 それに比べてなんて俺はダメなんだと。 不幸じゃないよ。 ダメなんです。 ダメになったのは自分のせいだかんね。 今日(もう昨日ですが)少し用事があって大学に行って来ました。 これから1ヶ月ほど毎週会うことになる方とお会いしたのですが、相性がものすごく悪そうでした。 ペラペラペラペラ口が回る。これはまだいいとして。 言葉の端々にイラつかせる要素が入ってる。もちろん本人に自覚はないのでしょう。 何故その言葉を選んだ、もっと他に言いようがあっただろうという。 こちらの意志を誘導するような形で質問してくる。それに乗せられる自分も嫌いだけど。 会うのは毎週1回なのであと3回そこらですけどあぁ憂鬱だ。 新学年、新学期が始まります。 これまで何ひとつ成し遂げられていない私が今学期は少しでも前に進めるのでしょうか。 いつまでも親の脛をかじっているわけにはいけません。 甘えていたいけれど、無駄なプライドがそれを許しません。 かといって努力しようなどという気は毛頭ありません。 現状維持では褒めてもらえません。 というより、褒めてもらうことを期待していてはいけないのです。 進歩、成長して当然なのです。 それが社会人なのです。大人なのです。人間なのです。 明日が見えません。 何かを見つけられる気がしません。 明日私は生きていられるのでしょうか。 何かで読みました。漫画だったかもしれません。ブログで見たのかもしれません。2ちゃんねるだったのかもしれません。 生きるということは戦うこと。 戦う気力もなく、戦う能力もなく、戦う能力を伸ばそうともしない人間は、果たして生きているといえるのでしょうか。 今現在は生きていません。戦っていません。 戦場から逃げ出し戦火の及ばないところで寝転がっているだけです。 それではいけないのです。 それではいけないのです。 生きる価値 という言葉があります。 主にドラマや漫画で「てめぇは生きる価値のないクズだ!」のような使われ方をします。 上記の用法は犯罪者等「悪いこと」をした人間に投げつけることが多いですね。 自分に生きる価値はあるのか。 生きる価値がある人間とはどういう人間なのか。 生きる価値がないなら死ねばいいのか。 生きる価値を高めるためにはどうすればいいのか。 生きる価値を高めようとしない人間はクズなのか。 クズは生きていてはいけない人間なのか。 それでも生きているクズは一体なんなのか。 クズはクズから脱却する努力をしなければいけないのか。 クズに甘んじてはいけないのか。 社会に暮らす限り、クズではいられません。 クズから脱却するか、面倒ならば消え去るか、どちらかを選ばなければいけません。 選ばなかった者は当然の責めを受けます。 白い目で見られます。軽蔑されます。 当然です。 でも、クズから脱却できる自信はありません。 できることから始めよう。 できることが見当たりません。 じゃあとりあえず死なないでおこう。いつか何かが見つかるさ。 17のときから同じじゃん。もう3年経っちゃったよ。 気楽に行こう。どうやって。 あぁ神様、努力する才能とやらを忘れてきてしまったようなので届けてくれませんか? あとついでに何をやったら伸びるかも教えてくれると嬉しいです。 飽きやすい、諦めやすいこの性格を治してくれるとなおいいね。 馬鹿馬鹿しい。 寝ます。明日になったら腹痛治ってるといいな。 PR |
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