2024 11,21 19:43 |
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2011 06,25 02:16 |
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あるサイトで胃がぞわぞわとする漫画を読みました。
言い訳の一切を正論で叩き潰して相手を追い込むの。 有無を言わせず、相手のためになるわけでもなく、単に叩き潰す。 でも正論だから相手は言葉に詰まり、自分の一切を否定されてどうしようもなくなる。 それでとどめに「貴方の好きにすればいい」。 全てを否定しておいて言えるのはすごいなと。 きっと何をやってもやさしい微笑みで見守ってくれそうなキャラクターでした。 その裏にどんな感情が隠れているかは想像したくもありませんが。 才能も興味も努力も目標も目的も度胸もない者はまともになれるのでしょうか。 「まとも」に適応できないからまともじゃないのですが。 正論というものは正しくて間違いのないものではあるのですが、それを武器として使うと途端に胡散臭くなるものです。 実力が伴っていなかったり、正論に則っていない者が使うと効力は半減します。 厄介なのは一片の疚しさも間違いもない者が使う正論です。 この上なく正しく、逃げ道も反論もできない状況での正論というものはちくちくと刺す針のような痛みとすっぱりと両断する刀の鋭さと強烈に叩き潰すハンマーの破壊力を持ちます。 言われた側はただ黙って泣きながら聞いているか耳を塞いで逃げ、臆病者、奮起しないクズと評価されるのを聞かないふりをするしかありません。 奮起できるような人はすればいい。 できない弱いモノには肥大した自意識と見ないようにしてきた自分の指でつまめるほどの才能や限りなくちっぽけな器がすり潰されていくのを我慢するしかない。 正論をぶつけられた後残るのはありません。 ぶつける側のストレスがほんのちょっぴり解消されるだけ。 それでも正論をぶつけに来る人は掃いて捨てるほどいます。 別に上で書いた漫画の中のキャラじゃなくてもね。 ネット上(2ちゃんとか顕著)であらゆることを「甘え」や「逃げ」で片付ける人なんかが典型。 自分の立場は全くもってわからない状況でありますので、完璧な人を装ってお手軽に他人を否定できる。 たとえ現実がどうであろうと他人を否定するに足る根拠なんてなかなかないとは思うのですが。 サンドバッグの気持ちをわかろうと思う人はいません。 わかる必要なんてないし、メリットもありませんから。 だから簡単に踏みにじれるんでしょうね。 夜はいけません。思考が悪い方悪い方に行ってしまいます。 抽象的で支離滅裂なことを書いてすみませんでした。 土曜日はコトブキヤの福箱が届くぞー。入ってるのが好きなものだといいな。 PR |
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